人生リタイア極論 でいちゃんのブログ

社会不適合なので22歳からリタイア人生

父親と絶縁した経緯

あまり書きたくないんですけど、

自分が家を出ていったきっかけ、一人暮らしのはじまりの出来事なので書きます

 

自分はインドア系の性格なんですけど

父親は、大柄でガタイもでかい、よく外に出かけてます

ただ、A型ぽい性格は、似てると思います

 

父親は、ギャンブルばっかやってました

自分はトレーダーなので、ここも本質的に似てるのかもしれませんね

酒は飲んでるところは見たことありません 自分もあまり酒は飲まないので

結構似てるんですよね、自分と父親

 

なので、学生時代は、

母親と弟 ー 父親と自分

みたいな感じで、若干の派閥ができていたと思います

(というか、母親からあんたは父親側の人間とかグチグチ言われてた)

母親や弟は、ギャンブル一切やらないタイプの安定志向なのでね

 

小学生年少の頃から、自分は学習塾に通っていて、

中学受験で私立の中学に通いました。

中学校から私立に通うのは、少数派だと思います。

 

だからといって、お金に余裕があったわけではないんです。

この「子どもの教育方針」が、火種の一つでした。

小学校中盤辺りから、父親と母親の仲が急激に悪くなり、

現在に至るまで、話してるところを見たことが数えるほどしかありません。

年に数回、事務的な会話をするくらいしか、父親と母親の会話はありませんでした。

理由は、父親が自分と弟の学費を一切払わないことによるものです

これは母親から聞いた話ですが、父親は自分たちに対するお金を一切払っていないらしい

そんなわけで、うちの母親からずっと父親のネガティブキャンペーンを聞かされ続けてたんですね

それでも、自分はできる限り中立でいようとは思ったんです

(父親は家で孤立状態)

 

そして、最大の火種がこれです

中学生、コツコツ貯金してた自分は、20万くらいお金を持ってました

父親はギャンブルで負けたのか、自分から頻繁にお金を借りてました

貸したお金は帰ってきましたが、人にお金を貸すことが嫌で、

なんで学費も払ってくれない自分の親にこんなにお金を貸さないといけないのか

嫌で嫌で仕方ありませんでした

ここが、自分の父親に対する嫌悪感の大きなところです

 

あと父親はギャンブルで負けた時に、

怒りの矛先を家族に向けてきました

例えば、普段ほとんど放任主義なのに

機嫌が悪い時は、いきなり大声で、「成績表持ってこい!」と言われて、

なんかイチャモンつけられて、怒鳴られました

こういう、理不尽に人に当たってくるところも嫌でした

 

父親方の家系はそこそこ裕福で、

都内に持ち家を持っているんですが

大学時代、父親が友人と話すとき、自分の目の前で

「うちの財産は自分で全部食いつぶす、息子に流すつもりはない」

なんて言ってるのを聞いて、この人に本当に情というものはないんだろうなと思ってしまった

 

小さい頃、父親と並んで歩いてたら

父親のタバコが自分の目の横に当たって凄い熱かったけど

父親はまったく気づくそぶりもなかった、というのも思い出して、

父親に対して、マイナスの感情の方が多かったと思う

でも、自分も似たようなところあるので、あまり強く言えないのだけど

それでも、家に住んでいる以上、父親には逆らえないのでほどほどに接していた

 

しかし、自分が公務員試験に失敗して、家でひきこもっていた時

生きる希望も何もなかった、2017年5月頃の出来事

またいつものように父親がイライラして帰ってきて、熱ぽいのか

大声で「氷枕もってこい!!!!!」って喚いてたんですよね

 

その時に、自分は、友人と通話しながらゲームやってて手が離せなかったんです

で、無視してたら

ものすごいブチ切れてきたんです

ただ、自分ももう精神的に疲弊していたのか、

ものすごい怒ってしまって、父親に対して怒りの全てをぶつけたんですよね

その時は、父親が手まで出してきて取っ組み合い(というか一方的に殴られた)の大乱闘になりました

普段父親と顔すら合わせない母親すら止めに来る始末

 

で、自分がものすごい怒って、父親に謝罪を要求したんですね

で、父親は冷静になって「分かったよ」みたいな感じで

「もうお前らとは無理だから、1年後に全員、家を出ていけ」

そういう風に言われたんです

 

父親の立場からしたら、子供に罵倒されたり、謝罪を要求されたり、

プライドが許せなかったとは思います

ただ、受験の件もこんな感じだったんですね

母親が、「私が責任もって子供の学費払うから」と一度言ったら、

もう以降、ずっと、父親は、「お前が責任もつって言ったんだから、子供が学校通えなくなってもお前のせいだ」という風に

理屈で押してくるんですね

 

父親は大柄でアウトドア派ですけど、

パワー系ではなく、理屈ぽくて話に説得力はあるので、そこが良いところだったと思います

だから、自分はギリギリお金を貸せたんですね

本当に理不尽に暴力を振るってくる父親では無かったということは、書いておきます

平常時はね

機嫌悪い時は本当に理不尽

 

さて、そこで父親曰く、家族は1年後に家を出ていくことになったのだけども、

母親は、今も実家に住み続けており、「そんなことイチイチ真に受けることないよ」

というスタンスでずっといる

 

でも、自分は、そんな不安定な状態に耐えられなかったんです

父親と仲違いしてから、夜にネットやってると、

回線を引き抜かれる嫌がらせを頻繁に受けるようになりました

友人が少ない自分にとって、ネットだけが唯一の居場所だったので、

これをやられると本当に精神的にきつかったです

 

で、ある日のこと

自分の精神的疲弊がピークを迎えて、

泣きながら、父親に暴言を吐いたことなどを謝りました

ほとんど口を利いてなかったのですが、まあその場は色々話しました

仲違いに関して自分は悪くないけど、行き過ぎた言動をしたことは謝りました

自分にとっては、それで解決だと思ったんですね

 

しかし、その後も父親は、

変わらずに、「家を出てけ」と自分に言ってきました

自分たちが出ていくことで、部屋を貸したりして収入を得たかったんだと思います

 

ただ、自分としては泣きながら謝ったのにも関わらず、

この仕打ちだったんで、

ああもう父親はこういう人間なんだなと、全てを理解したんです

 

なので、もう全て、終わらせようと思ったんです

完全に、父親との絶縁を決めました。

 

もう二度と関わることはありません。

父親が、一回で家族を見切るのと同じように、

自分も、一回で父親を見切りました。

血は争えないですね。

 

母親に出ていく必要はないと言われましたが、

2017年5月から1年も経たない2018年3月に家を出ていきました。

貯金も10万、20万くらいしかない状態で、シェアハウスに移動しました。

もう耐えられなかったんです。

 

以上が、父親との絶縁の経緯です。

 

どちらが悪いか、今さらとやかく言うことはしませんが、

自分が今後、父親と会うことは一生ないでしょう。

葬式もいきません。

 

数カ月前に、父親の母親(祖母)が死んでしまいました。

その時に、母親に葬式に来てほしいと頼まれましたが、

自分は、断固拒否しました。

 

絶縁とは、そういうものなんです。

一度失ったものは、絶対に元には戻らないんです。

 

父親との絶縁後、まもなく

シェアハウスで20万を一時3500万以上にする目もくらむような勝利を味わって

その後苦労したとはいえ、現在も半隠居生活を送れてます。

失ったものは戻って来ないけど、そのおかげで得たものもあります。

 

だから、今の結果で良かったと思ってるし、

これからも前を向いて、進んでいきたいと思います。